現代の金融危機研究の第一人者の金融政策に関する見解①

元米財務長官のラリー・サマーズが「自分が経済危機の研究をするなら間違いなく参考にするし、危機回避に関する今後の政策に影響を与えるべきだ」と述べた研究を行っているのがプリンストン大学経済学教授のアティフ・ミアンとシカゴ大学経営大学院教授のアーミル・スフィである。彼らの論文にはさらにポール・クルーグマン、カーメン・ラインハート、ケネス・ロゴフという名だたる経済学者から高評価が与えられている。この論文では従来の金融危機の要因として挙げられてきたファンダメンタルズ説、アニマルスピリット説、銀行融資説が間違いでありそれがデータ分析と債務損失増幅理論を用いて証明されてる。彼らが主張するところでは家計の債務が危機の要因であるという結論を導いている。膨大なデータ、現実のエビデンスを基に議論を展開しています。コンピュータの性能の増大もあいまって、過去の経済学者が捉えきれなかった、より細かな地域差とその要因について、あるいはこれまでひとまとめにされてきた経済現象の違いについて、より的確に把握できるようになった。

 

ロゴフとラインハートの研究によれば金融危機の後には3つの特徴がある。1つ目は資産市場が大幅に落ち込み、なかなか回復しなくなる。2つ目は銀行危機によって生産と雇用が大幅に落ち込む。3つ目は政府債務の実質価値が急増するである。ミアンとスフィは1つ目と2つ目の関係について注目している。2008年の金融危機の影響で2007年から2009年にかけて800万人もの雇用が失われ、400万以上のもの住宅が差し押さえられた。もし2008年の金融危機がなかったら2012年のアメリカの家計所得は全体で2兆ドル高かったと推計されている。この景気後退によって職を失った労働者は平均で3年分の生涯所得を失ったとされている。詳細にデータを比較することで2008年の金融危機と1930年代の世界恐慌のどちらも、家計債務が急激に増加した後に起きていた。さらにもう1つの共通点は金融危機大恐慌も、家計支出が不可解なほど急落したことを契機に起きていることである。自動車、家具、家電などの耐久消費財の購入が、2008年の初期に急速に落ち込んだ。2008年1月から8月にかけての自動者販売は前年の2007年と比較して約10%下落していた。彼らはデータから不況は必ずといっていいほど家計債務の大幅な増加の後に起きるという見出した。

金融危機研究を勢力的に行っているミアンとスフィは金融政策についてこう述べている。金融政策については中央銀行は押すだけでインフレを起こせる魔法のボタンを持っているわけではないと言っている。これはデフレを回避することと大幅なインフレを発生させることとは別のことであり、後者ははるかに難しいということだ。実際に、経済が過剰な債務負担に苦しみ、金利がゼロ金利制約周辺で推移しているときには、金融政策で物価を上げることはかなり限られる。その理由を理解するためには中央銀行がどう運営されているかを詳しくしる必要がある。インフレを発生させる最も直接的な方法は、流通する貨幣の量、マネー・サプライを大幅に増加させるである。増えた貨幣で、財・サービスの購買が増えれば物価や賃金が上がるはずである。アメリカのマネタリーベースには流通貨幣と銀行準備金がある。銀行準備金は銀行システムに中で管理される現金であり、銀行の金庫に貨幣で保管するという形と、連邦準備銀行への預金という形で保管する。銀行準備金は流通貨幣ではない。中央銀行がマネタリーベースを増やしたい時に、中央銀行は銀行から国債を購入して、銀行準備金で支払う。言い換えると中央銀行は銀行準備金を作るのであっ流通貨幣を作るわけではない。銀行準備金の増加が流通貨幣の増加につながるのは、銀行が銀行準備金の増加に反応して融資を増やした場合だけである。もし銀行が融資を増やさなければ、あるいは借り手がもっと借りなければ銀行準備金の増加は流通貨幣に影響しない。これが金融危機で起きたことである。中央銀行による積極的な介入は銀行への融資である。中央銀行が銀行準備金を増加させ、銀行間の金利を下げたとする。しかし、実際の融資への影響は限られているため、流通貨幣への影響も限られた。債務が原因の不況では、家計とそして企業でさえも返済に苦しんでおり、銀行は高いデフォルト率に悩まされる。このような状況では、銀行は融資を増やしたくないし、家計は余分な責務を作りたくない。つまり、金融政策が流通貨幣を増やす手立てとして、もっと融資してもらう必要があるときに経済は逆の方向を向いている、ということになる。2008年の金融危機の間に、まさにこの現象が起きていた。これは、銀行準備金の増加と流通貨幣を比較することによって確認できる。2008年8月から2009年1月までの間で、銀行準備金は900億ドルから、10倍の9000億ドルまで増えた。連邦準備制度の極端なまでに積極的に介入していたことがわかる。積極的な金融政策は2013年まで継続された。連邦準備制度はデフレを回避した。しかし、顕著なインフレを発生させることはできなかった。

 

よりよいアプローチは、銀行システムを無視して中央銀行が経済に現金を直接注入するのを許可することかもしれない。ベン・バーナンキFRBの議長になる数年前に、1990年代の日本の中央銀行がヘリコプター・ドロップを行うことを提案して、「ヘリコプター・ベン」というあだ名がついた。ウィレム・バターの研究では綿密なモデルを作り、このようなヘリコプター・ドロップは実際には、名目金利のゼロ金利制約にはまった経済を助ける可能性があることを示した。ヘリコプター・マネーで現金を投入するのは、債務比率が高い地域に焦点を当てるともっと効果が出る。ヘリコプターから現金を落とすのはたとえ話であるが連邦準備銀行が金を印刷し、例えば教師の給料を支払うなどの方法で現金を市場に注入することは、可能である。しかし、連邦準備銀行が金を印刷して人々に配るのは法律違反である。通貨は、厳密には政府の債務である。政府の債務を発行するには、財政措置が必要であり、これができるのは財務省だけである。このため、連邦準備銀行は銀行準備金を証券と交換しなければならない。連邦準備銀行は証券を代わりに受け取る以外の方法では現金もしくは銀行準備金を流通させることがゆるされていないのである。さらに、中央銀行がたとえ権限を得たとしても、そのような行動を取ると誰が真に受けるだろう。ほとんどの先進国では中央銀行家はインフレと闘うということには保守的な傾向でキャリアを積んできた。彼らが国中の町に現金を喜んで落とすこと想像しにくい。つまり実現するにはあまりにも非現実的であるということだ。

 

(参考文献)

アティフ・ミアン/アーミル・スフィ(2015)「ハウス・オブ・デット」東洋経済新報社

カーメン・ラインハート/ケネス・ロゴフ(2012)  「国家は破綻する 金融危機の800年」日経BP